地震で被災されている方々のことを思うと、当初は絵なんて描いてる場合じゃない!と思いましたが、人が楽しくなる活動を停滞させてしまうと、それはそれで大きな意味で経済が停滞することにも繋がるのでは?と感じ、細々と活動は続けようという思いに至りました。
京都宇治公園界隈 着彩途中・・・先週月曜の母の老人ホーム入居から木曜の地震をまたぎ、中断中断でなんだかグダグダな感じ。でも、最後まで描く予定。ふう~。やっぱり「萌え期」に描ききらないと駄目ですね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ブログ村で御馴染みの「みちのく風景スケッチ」の社しまさんのご無事も確認できてホッとしました。被災地の方で釣り師の方なので、もしかしたらもしかするかも?って思っていましたから。ブログの更新やコメントに返信があったときは「おお!」でしたよ。 地震を予測されて、1週間分の食料・燃料を用意されていたとのことです。
地震の数日前、車のラジオから「・・・に地震が100%来るとされていますので・・・(大きな地震のことを指していたと思う。)」という会話が聞こえてきて「100%とはよく言ったものだ。」と印象的に感じていたところに今回の地震でした。400年前に津波等の対策で伊達政宗が造林させた「海岸林」もあえなくなぎ倒されていました。予想を上回る威力だったのですね。
あの日は3時に子供が帰るので老人ホームを出るところでした。今は放映されていないけれども、NHKのヘリコプターから街が次々に波に飲み込まれてゆく様子がライブで延々と放映されていて目を疑いました。
「待ったなし!」なのに、海岸に様子を観に来ている人、普通に交通法規を守って運転している車・・・。でも、波はそこまで!しかも、第2波3波が沖合いからもグングン迫ってきている!
現地で危険が迫っている人よりも、大阪でテレビを見ている人のほうが、状況がわかる矛盾。拡声器つきのヘリコプターはないものか?空襲警報みたいな津波警報ってないのか?ってすごい思いました。でも、母を老人施設や病院に入れて思うけど、寝たきりや体の不自由な人を簡単に安全な場所に非難させるなんてものすごい知恵と対策がないと無理。母の体位をちょっと変えようとやってみたけど、数センチも動かなかったですから。 高齢化の街じゃ力のある人も少ないし・・・。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
地震の前に注文したマッチベイシックカラーが到着。次の絵で使ってみようかと。皆さん、ご存知ですか?ホルベインやクサカベも日本製ですが、こちらも「安全、安価、鮮やか」が売りの長野県製のこだわりの絵具です。混色しても濁らないってホント?!
マッチ ベイシックカラー 13色セット
企業組合まっち絵具製造ホームページへ←ココをクリック
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
郵便局で売っていた。「5」と「9」で「合格」という御守り。
子供にプレゼントしたところ、「握って願うと答えが解ったよ。」と子供。バレンタインのチョコを3人個々に渡し、3人其々からホワイトデーのお返しを貰ったしっかり者だが、まだまだ可愛いところがあるじゃんと思った。
これも日本製なのですよ。兵庫県は播州そろばんの産地で作られています。
㈱ダイイチのホームページへ←ここをクリック
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
先週の月曜日に住宅型老人ホームに母を入居させるので、大忙しだったこの10日間、やっと一段落つきそう。 老人ホーム探し、諸々の契約、数々の物品の購入と搬入、交友関係を断ち切らないために年賀状から推測して母の知人達へ通知、なんとか済ませました。
終の棲家として、私のできうる最高の環境をつくってあげたつもりですが、半分体調が悪く、半分は良くてもボーっとしている状態。少し声を出してくれればホッとして帰れますが、苦しそうな顔を見て帰る日は気持ちが重くなります。
↑枕の上には離床センサー、ベッド柵は開閉式の手厚い対応。最初の病院の看護が悪すぎて当初に転倒を2度も許して放置されたことが悔やまれてなりません。ちゃんとこういった措置が取れるのなら、防げたことかと思うと後悔。動けなくなった今、手厚くしても・・・・。
↑後ろへの転倒防止の車輪。今の車椅子はほんと良くなってます。介護職員も驚いていました。
↑肘掛も上に簡単に上に上げられ、移乗させやすい構造。
↑足も簡単に横に捌けられます。
↑ベッドも横倒れする人の為に、起き上がりで自動的に脇が寄る機能のものがあるのです。介護器具も進歩してますね。
こちらもフランスベッド(名前はフランスだけど多分日本の会社)の製品です。フランスベッドは「助さんたくさん」という介護用品の店もやっていて、助かっています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
介護していて思うこと、物を用意したら後は自分たちで適当に使えるくらいの状態の人もいれば、食物や薬を口まで運んだり、トイレまで連れて行ってあげたりまでしないといけない状況の人もいる。今回の地震は壊滅的過ぎて、救援物資も「提供品+輸送+配布人員」コミじゃないと駄目なんだろうなあと。
阪神大震災の時は津波も無かったし、日帰りで援助できる隣の大阪はほぼ大丈夫だったから職場の人も隊を組んで同僚の援助に行っていたけれど、被災地の隣も被災地その隣も被災地の今回の地震・・・それができる能力のある組織じゃないと無理なのがわかる。とりあえず一般人は節電と募金しかないのか。
にほんブログ村
京都宇治公園界隈 着彩途中・・・先週月曜の母の老人ホーム入居から木曜の地震をまたぎ、中断中断でなんだかグダグダな感じ。でも、最後まで描く予定。ふう~。やっぱり「萌え期」に描ききらないと駄目ですね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ブログ村で御馴染みの「みちのく風景スケッチ」の社しまさんのご無事も確認できてホッとしました。被災地の方で釣り師の方なので、もしかしたらもしかするかも?って思っていましたから。ブログの更新やコメントに返信があったときは「おお!」でしたよ。 地震を予測されて、1週間分の食料・燃料を用意されていたとのことです。
地震の数日前、車のラジオから「・・・に地震が100%来るとされていますので・・・(大きな地震のことを指していたと思う。)」という会話が聞こえてきて「100%とはよく言ったものだ。」と印象的に感じていたところに今回の地震でした。400年前に津波等の対策で伊達政宗が造林させた「海岸林」もあえなくなぎ倒されていました。予想を上回る威力だったのですね。
あの日は3時に子供が帰るので老人ホームを出るところでした。今は放映されていないけれども、NHKのヘリコプターから街が次々に波に飲み込まれてゆく様子がライブで延々と放映されていて目を疑いました。
「待ったなし!」なのに、海岸に様子を観に来ている人、普通に交通法規を守って運転している車・・・。でも、波はそこまで!しかも、第2波3波が沖合いからもグングン迫ってきている!
現地で危険が迫っている人よりも、大阪でテレビを見ている人のほうが、状況がわかる矛盾。拡声器つきのヘリコプターはないものか?空襲警報みたいな津波警報ってないのか?ってすごい思いました。でも、母を老人施設や病院に入れて思うけど、寝たきりや体の不自由な人を簡単に安全な場所に非難させるなんてものすごい知恵と対策がないと無理。母の体位をちょっと変えようとやってみたけど、数センチも動かなかったですから。 高齢化の街じゃ力のある人も少ないし・・・。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
地震の前に注文したマッチベイシックカラーが到着。次の絵で使ってみようかと。皆さん、ご存知ですか?ホルベインやクサカベも日本製ですが、こちらも「安全、安価、鮮やか」が売りの長野県製のこだわりの絵具です。混色しても濁らないってホント?!
マッチ ベイシックカラー 13色セット
企業組合まっち絵具製造ホームページへ←ココをクリック
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
郵便局で売っていた。「5」と「9」で「合格」という御守り。
子供にプレゼントしたところ、「握って願うと答えが解ったよ。」と子供。バレンタインのチョコを3人個々に渡し、3人其々からホワイトデーのお返しを貰ったしっかり者だが、まだまだ可愛いところがあるじゃんと思った。
これも日本製なのですよ。兵庫県は播州そろばんの産地で作られています。
㈱ダイイチのホームページへ←ここをクリック
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
先週の月曜日に住宅型老人ホームに母を入居させるので、大忙しだったこの10日間、やっと一段落つきそう。 老人ホーム探し、諸々の契約、数々の物品の購入と搬入、交友関係を断ち切らないために年賀状から推測して母の知人達へ通知、なんとか済ませました。
終の棲家として、私のできうる最高の環境をつくってあげたつもりですが、半分体調が悪く、半分は良くてもボーっとしている状態。少し声を出してくれればホッとして帰れますが、苦しそうな顔を見て帰る日は気持ちが重くなります。
↑枕の上には離床センサー、ベッド柵は開閉式の手厚い対応。最初の病院の看護が悪すぎて当初に転倒を2度も許して放置されたことが悔やまれてなりません。ちゃんとこういった措置が取れるのなら、防げたことかと思うと後悔。動けなくなった今、手厚くしても・・・・。
↑後ろへの転倒防止の車輪。今の車椅子はほんと良くなってます。介護職員も驚いていました。
↑肘掛も上に簡単に上に上げられ、移乗させやすい構造。
↑足も簡単に横に捌けられます。
↑ベッドも横倒れする人の為に、起き上がりで自動的に脇が寄る機能のものがあるのです。介護器具も進歩してますね。
こちらもフランスベッド(名前はフランスだけど多分日本の会社)の製品です。フランスベッドは「助さんたくさん」という介護用品の店もやっていて、助かっています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
介護していて思うこと、物を用意したら後は自分たちで適当に使えるくらいの状態の人もいれば、食物や薬を口まで運んだり、トイレまで連れて行ってあげたりまでしないといけない状況の人もいる。今回の地震は壊滅的過ぎて、救援物資も「提供品+輸送+配布人員」コミじゃないと駄目なんだろうなあと。
阪神大震災の時は津波も無かったし、日帰りで援助できる隣の大阪はほぼ大丈夫だったから職場の人も隊を組んで同僚の援助に行っていたけれど、被災地の隣も被災地その隣も被災地の今回の地震・・・それができる能力のある組織じゃないと無理なのがわかる。とりあえず一般人は節電と募金しかないのか。
にほんブログ村
コメント
コメント一覧 (4)
昨日今日と無情の真冬並みの寒さで雪が降りしきっています。避難所の寒さが思いやられます。せめて燃料があればと思いますが道路も開いているのになんで?
毎朝、近くの生協に1時間以上並んで食料やカセットガスを調達しています、疲れるし午前中はそれでおしまいです。でも買えるだけ幸せです。がんばってくれている店のスタッフにも感謝です。
近くのヨークベニマルで震災当日に普段の値段より高く売ったことが伝わってきました。先々の商売を考えていないばかな店長の判断でしょう。
絵を描く用具類は絵皿1枚が割れただけですみましたが新たな絵に取り組む気にはなかなかなれません。でもボーッとしていてもしょうがないので、今週市役所に納品予定だったパースを描いています。納品なぞ受けられる市役所の状況ではありませんが気がまぎれます。
新しい絵具を開けるときは楽しいですね。マッチ絵具は使ったことがありませんが良い製品らしいです。混色は私はあまりしない主義ですがどんなふうになるのでしょう、使用されましたらレポートをお願いします。
昨日から大阪も寒い寒い。雪も時折舞っています。今日は80代の伯父伯母を母の施設に連れてゆきましたが、寒い折に外出させて体調を崩させてはいけないと、車に暖房を入れました。被災地のお年寄りは暖もとれずにおられるとの事、さぞ体に堪えることと思います。
助かっても、しばらくの生活は大変ですね。私は阪神大震災の時、被災地西宮の監督署に4月から勤務したのですが、3月末まで海からバケツでトイレの水を3階まで運んでいたと聞きました。
阪神大震災の時は「ウン千円するカレーライスを売りにきた商売人?がいた。」「被災した街をバックに記念写真を撮る人がいた。」とか聞きましたし、地震発生直後は近隣からの救援車両と見物目的であろう若者の車が渋滞の列をなしていたのも記憶があります。そちらでは、寒波の前日に社長の許可無く灯油を無料配布しているホームセンターの店長さんも映し出されていましたよ。かと思えば「救援募金詐欺」も始まってるとか・・・聖俗入り混じりますね。
しばらくは大変ですが、可能なことはします。時間はかかりますが、神戸もその年の暮れにはルミナリエが開かれました。そちらも必ず復興されることと思います。
余談:これを書いているときに届けられた老人ホーム用の物干し「宮城県仙台市青葉区北目町」からでした。震災前に発送されたもののようです。不思議な感じがしました。
行方不明や安否不明の方がまだまだ多くいらっしゃいます。
みなさんどこかで無事であることを祈ります。
不幸な大惨事から1週間が経ちました。この時間の感じ方はそれぞれ違うのでしょうね。
被災地の方々の不安でたまらない苦難の日々思うと、気が沈みます。
でも元気を出して直接的には出来ないけれど、間接的に出来ることをやろうと思います。
国内はもちろんのこと世界中から救援物資と応援と祈りが続々と届けられています。
栃木にいる義母と義姉の子どもとその子どもたちが佐世保に避難してきます。
九州の各県では県営住宅の空き部屋を被災者のために提供する用意があると聞いています。
今回の地震は家族が一番バラバラになっている時間帯を直撃でしたね。違う避難所で、無事ということもありえますよね。
今日は、国が避難所ごと多府県に移住させる計画を立てているとラジオから聞こえてきました。そうでもしないと、体力が持たないですよね。私は20代の頃、極度の冷え性だったので、少しの寒さも堪えていました。暖の取れない体育館での生活はさぞ身に堪える事でしょう。春はもうすぐというところなのに、この冬で一番寒い日が到来した感があります。
地震から時間が経過して安全なところに行っても、疲れがドッと出て、体調を崩す人も多いのでは?と思います。