水彩的生活KUROKAWAの透明水彩画

「枚方(ひらかた)」に住まい透明水彩画を描いています。身近な景色を好きな色に染めることはとても楽しいです。京都伏見(雅究房)と大阪枚方(カルチャーハウス香里ケ丘)、「近鉄文化サロン奈良・阿倍野」にて透明水彩画教室を主宰しています。



〇伏見教室は6月から再開します!!
✎定員4名の小さな教室です。各自のペースでレッスンします(*^-^*)♪
★伏見教室月二回 京阪伏見桃山、近鉄桃山御陵前 駅前 雅究房1階
●1.3火午前10:00~12:30 満席 ●1.3火午後13:30~16:00 満席
●2.4火午前10:00~12:30 満席 ●2.4火午後13:30~16:00 残席2名
☎ 090-9250-8887 黒川しづこ携帯 体験・見学可
詳細 http://park8.wakwak.com/~kurokawa/99_blank007.html

★近鉄文化サロン「ステップアップ透明水彩画」月一回http://park8.wakwak.com/~kurokawa/99_blank005012.html
●阿倍野サロン(阿倍野 天王寺/☎ 06-6625-1771)第2水曜13:30~16:00
次回6月10日、7/8、7/29(←8月の振替)
詳細 https://www.d-kintetsu.co.jp/bunka-salon/abeno/search/print.php?kouza_num=1004963
●奈良サロン(近鉄西大寺/☎ 0742-35-8161)第4水曜13:00~15:30
次回3月分振替6月3日10:00-12:30、6月24日13:00~15:30
詳細 https://www.d-kintetsu.co.jp/bunka-salon/nara/shinsetsu/?kouza_num=3001550

★カルチャーハウス香里ケ丘「透明水彩画の基礎講座」(枚方市)月一回 
●第3月曜 午前10:00~12:30 ●午後13:30~16:00 次回 6月15日(月)
●第2水曜 午前9:30-12:00 次回6月10日(水)、7月8日、9月9日、9月30日(←8月振替)
☎ 072-860-1131 詳細 http://park8.wakwak.com/~kurokawa/99_blank005.html


 家にあった果物をハガキサイズに描いてみた。
 「ちょっと水分が飛んだみかん」
 中の房がちょっと感じられるかしら?

orange

 もう少し美味しそうに描けたらいいのだが。

 「食べ物を急に描きたくなる」というのは、以前「誰の注文?」↓でもそうだった。

誰の注文?スキャン合成版

 「赤大根を描きたいから買う。という行為に自分でも奇妙さを感じていたが、

翌日裸婦描画教室の先生

 「美味しそうな野菜をいただいたら、まず、食べる前に『描きたいっ!!』って、思うのよ!

                                       と言っておられた。

 これは、絵描きの性分というやつなのですね。

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↓1999年  5年目のルミナリエの写真
ルミナリエ 1999

 あと10日で1月17日。16年前のその日、阪神淡路大震災が発生した・・・。あの時、もしかしたら死んでいたかも知れないと今でも思う

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 あの頃私は派遣社員でM電子部品株式会社の中で働いていました。(今はM→Pに名称変更。)

 しかし、平成4年に入社したとたんバブルがはじけ、派遣会社は業務縮小を迫られ、入社すぐリストラ→賃金未払い→倒産という憂き目にあいました。

 平成6年、就職超氷河期と言われる中、母の年金に頼るわけにも行かず、「これではいけない!」と思い、公務員になろうと、働きながら必死で勉強しました。
 「WORK FOR EAT」の状況であれば火事場の馬鹿力が出るものですね。その年の秋には合格し、なんとか採用資格を得ることができたのです。

 公務員試験に合格しても、そこから各省庁を回る就職活動をして採用されなければならない。平成7年3月半ばまで決まらず諦めた頃、兵庫の官庁から採用を受けることができました。

 震災2ヵ月半後の仮設住宅の立ち並ぶ被災地、西宮・宝塚・芦屋・東灘区地区の勤務からはじまり、去年まで15年間勤めましたが・・・。

 採用には「1月採用」というのもあって、遠方なら独り暮らしする心積りだったし、あの6500名もの命を奪った大地震の被災地、もし、1月に採用されていたら絶対に死んでいたかも知れないと思うのです。 

 パート1の突発的な交通事故とは違い、運命に救われた感をじんわり感じる九死に一生です。

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~私の阪神淡路大震災~

震災直後の23歳の春、民間から公務員へ転職した時のことでした。

 あの頃は、大阪から神戸までJR・阪神・阪急の三本が延び、20分で到着するのですが、震災後はすべて寸断され、途中で徒歩&代替バスに乗らなければならず一苦労でした。

 電車の車窓からは、神戸に近づくにつれて、ブルーシートが被せられた屋根や、崩壊した家々が多く見えてきました。

 代替バスは被災地の真っ只中を走ります。体育館での避難生活とブルーシートだらけの崩壊した街が垣間見え、まるで戦後日本の様相。そんな中リクルートスーツで大阪から神戸まで向かいました。
 
 倒産した会社から引受会社へ身分を移し、大型トラックやリフトの行きかう配送センターで伝票を打つ仕事には就いていたけれど、日々減っていく物流、未曾有の不況深まり行く中、不安定な派遣の身。私の頭脳で合格できそうな公務員試験の受験資格年齢ギリギリの中つかんだ合格と採用。

 いろんな思いを胸に神戸に向かう満員の代替バスの中、何故か流れる 『イルカ』の『なごり雪』・・・(「盛り上げるんじゃないよ!」って感じですが・・・) 今でも耳に残っております。

 元町に到着しても地面は割れ、ビルが傾き、道が寸断され、復旧工事でモウモウと粉塵の立ち上る街をヒールで歩きました。

 カメラを持ち歩いていたので、崩壊した「そごう百貨店」や「市庁舎」の光景を撮ることもできたけれど、気が引けたので撮らず、写真は残っていません。しかし、当時崩壊した街で記念写真を撮る人達がいることが報じられていて、「なんだかなあ・・・」と思ったことも思い出します。

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 震災は住んでいた大阪府寝屋川市でも激しく揺れました。震度5。恐怖感で動作の鈍い私でも瞬時に布団から机の下に瞬間移動できた程です。
 しかし、当時地方に住んでいた旦那は地震に対する恐怖心というものが全く無いのです。
 娘が赤子の頃に小さな地震があったとき、私は娘を抱き、素早く柱の密集している玄関に非難し、余震の気配を探りましたが、旦那はポケ~ッとしてるだけ。
 人間、痛い目に逢わないとわからないものですね。

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枝や、電線、船のロープなどを描くときは超重宝するリガー筆です。高いですが大切に使えば長年使える黒川おススメの筆です。